アニメソングの帝王と言われていた水木一郎さんですが、若い頃はうたのおにいさんをしていたそうです!
若い頃が男前すぎてヤバいとか?
若い頃について調べてみました。
水木一郎は若い頃うたのおにいさんをしていた!
水木一郎さんは若い頃におかあさんといっしょの2代目うたのおにいさんをされていたそうです。
私は今回初めてうたのおにいさんをされていたと知りました。
1976年4月から3年間うたのおにいさんをされていたようです。
マンジガーZのアニメ放送が1972年10月からなので、そのあとにうたのおにいさんをされていらっしゃるんですね。
すでにアニソンを歌っていたことや、とてもやさしいお顔なのでお母さんとお子さんから人気ありそうですね!
水木一郎の若い頃が男前すぎてヤバい!
水木一郎さんの若い頃が男前すぎてヤバいと噂になっています。
デビュー当時のお写真は
男前すぎませんか?!
びっくりしました。
16歳のころにはジャズ喫茶で歌われていたそうです。
テレビでドラムをたたいていらっしゃるところを見たことはないですが、ドラムも上手だったのでしょうか。
とても素敵な笑顔ですね。
数々の大ヒットアニメの主題歌を担当され、アニメソング界の帝王と呼ばれたあたりのお写真のようです。
ここまで男前とは知りませんでした。。。
水木一郎のプロフィール
水木一郎さんはほかにも「松本茂之」「山本一郎」「早川としお」「たつきよういちろう」「ミズキング」の名義で活動をされていました。
実家がレコード店を経営していたため音楽環境には恵まれ、幼少期からジャズなどを聴いていたそう。
1964年、ジャズ喫茶に入り浸っているうちに顔なじみになったザ・ドリフターズの桜井輝夫の勧めで、当時新宿区歌舞伎町に存在したジャズ喫茶「ラ・セーヌ」で催されたコンクールでジョニー・シンバル(英語版)の「僕のマシュマロちゃん」を歌い優勝し、これが本格デビューのきっかけとなる。
Wikipedia
1968年にデビューをしているんですが、売り上げがよくなかったことや、マネージャーと不仲だったため、一度歌手を退いたこともあるようです。
作曲家へなろうと思っていたときに、
1971年、堀江美都子の担当だった日本コロムビア・木村英俊ディレクターの勧めでアニメ『原始少年リュウ』のオープニングテーマ「原始少年リュウが行く」を歌唱。以降、活動の中心をアニメソングへと移していく。
Wikipedia
すごい転機ですよね。
もし一度退いていなければもしかしたらアニメソング界の帝王にはなられていなかったのかもしれません。
どこでそうなるか本当にわからないですね。
まとめ
今回は水木一郎さんの若い頃について調べてみました。
色々知らないことが多かったです。
2022年12月6日に亡くなられていたと報道がありましたが、
今まで本当に忙しく活動されていたのでゆっくり休んでいただきたいですね。
ご冥福をお祈りいたします。
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