2022年9月から開催している世界バレーに6年ぶりに日本代表に選ばれた宮部藍梨選手。
2023年女子日本代表にも選ばれました。
宮部選手の出身高校は金蘭会高校ということがわかりました。
これまでのバレー遍歴や戦績をまとめてみました。
宮部藍梨は金蘭会高校の出身!
宮部藍梨選手は金蘭会高等学校のご出身でした。
同じ日本代表の林琴奈選手と同じ高校ですね。
宮部選手の方が1学年上になるので、一緒のチームでバレーボールをされていらっしゃいますね。
高校時代の実力がすごすぎました!1年生時代から戦歴と共にまとめていきます。
高校1年生から大活躍!
宮部選手が入学されたのが2014年の4月で、6月には2020年東京五輪へ向けた、日本協会の集中強化対象「Team CORE」(男子10人・女子8人)の一人となり、2014年10月のアジアユースバレーボール選手権(U-17カテゴリ)では、キャプテンとして出場し、優勝に大きく貢献し、MVPに選出されていらっしゃいます。
高校に入学されて2か月で強化選手に選ばれ、入学されて半年でアジアユースで優勝に貢献しMVPに選ばれるほどの実力なんてすごいですね。
金蘭会高等学校としても、2014年は素晴らしい成績の年となりました。
元々金蘭会高等学校はバレーボールの強豪校ではありましたが、成績としてはベスト4がマックスでした。
ベスト4以上にはなれないことが続いていましたが、2014年8月に行われた「全国高等学校総合体育大会(インターハイ)」で初優勝を果たしました。
この時の決勝は、熊本信愛女学院高校でした。
熊本信愛女学院高校のこの時のエースは古賀紗理那選手でした。
宮部選手は1年生ながらもチームの中心選手として大活躍でした。
10月に行われた「国民体育大会」では下北沢高校を決勝を破り優勝をされていらっしゃいます。
下北沢高校の当時のエースは黒後愛選手でした。
2014年の代は今も日本代表で活躍されていらっしゃる選手が多いですね。
2015年1月に行われた「全日本高校選手権(春高バレー)」でも宮部選手はしっかりと1年生エースとして出場。決勝では同じ大阪の大阪国際滝井高校と対戦し、両チーム最多の24得点を挙げチームの初優勝に貢献されました。
金蘭会高等学校は春高初優勝をされました。
金蘭会高等学校はこの年3冠をされました!
すごい1年ですね!!!
高校2年生で代表入り!
2015年4月、高校2年生の時に宮部選手は高校生でただ一人全日本メンバーに選出され、ワールドグランプリの登録メンバーに選出されています。
7月10日に行われたイタリア戦の第2セットから出場し、18点を挙げる活躍をされました。
国際大会デビューとしては18得点もあげられているので、いい結果となりましたが、金蘭会高等学校としては去年を上回ることができずに終わられています。
- インターハイ 3回戦敗退
- 国体 準決勝敗退
- 春高バレー 準決勝敗退
という成績で終了されています。
高校3年生の戦績は?
宮部選手の金蘭会高等学校最後の1年の成績はどうだったのでしょうか。
- インターハイ 準優勝
- 国体 優勝
- 春高バレー ベスト4
と1年生の時の成績を超えることはできずでした。
でもずっとベスト4がマックスだった高校がここまで優勝や準優勝を収めることができた3年間はすごいですよね。
宮部藍梨の小・中学校は?バレーボールの遍歴も調べてみた
宮部藍梨選手の小・中学校はどうだったのでしょうか。
調べてみました。
宮部藍梨の小学校は?
宮部藍梨選手は小学校3年生からバレーボールを始められています。
宮部選手は出身が兵庫県尼崎市で、通っていた小学校は尼崎市立金楽寺小学校です。
入った理由は、「人数がたりなくて。。。」と誘われたようで、バレーボールを始められました。
全日本の登録選手の方々は基本的に、ご兄弟の影響やご両親がきっかけで始められた方が多かったのですが、宮部選手は人員不足の優しさから始められたんですね。
そのままずっとバレーボールは続けられますが、楽しくて続けていたわけでもなさそうです。
宮部選手のことを調べていると、インタビューされているフリーペーパーを見つけました!
子供のころから体格には、恵まれていたけど、体格を生かして何かスポーツをしてみようとは全く思っていいなくて。。。
バレーも最初は遊びの延長で「学校の友達と体育館で遊ぶ」みたいな感じでしたが、上級生に上がり、試合に出られるようになり、それで楽しくなったのもあるし、同学年の選手が私含めて2人しかいなくて、彼女を置いて辞めにくかったのもあります。
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そこまでバレーボールに対して、「続けていくぞ!」のような前のめり感はなかったようですね。
このフリーペーパーで小学校の思い出で一番残っているのは小学校6年生のころだと話されていらっしゃいました。
小学6年生の時に出場した県大会、私たちは決して強いチームではなかったのに、初戦で全国大会でも優勝経験のある東条ジュニアと対戦することになって。結果的には1セットもとれず負けてしまったけど、どのセットも17点くらい取れて、試合が終わった後に「やった~」と喜んでいる自分がいました。
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小学校6年生になり、心境が少し変わっていったようですね。
中学校は金蘭会中学校に入学されます。
ここでも宮部選手らしいエピソードがありました!
中学校は金蘭会中学校へ
宮部藍梨選手は中学校は金蘭会中学校へ進学されます。
高校も金蘭会高等学校なので、そのまま6年通われたんですね。
金蘭会といえば、私立のバレーボールの強豪校ですよね。
金蘭会がこんなに強いチームだと知らなくて(笑)最初は練習についていくのもしんどかったし、気持ち的にも追い込まれて何度も心が折れました。
それでもバレーを辞めなかったのは、私が練習に行かなかったときも監督がもそれる場所を作ってくれていたから。
また、チームメイトのみんなも「大丈夫?」などと声をかけてくれたからです。
その時の経験からも、仲間の存在を心強く感じながらプレーできることが今でもバレーの魅力だと感じています。
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この宮部選手のフリーペーパーを読んで、思ったのはバレーの強豪校でありながら、とてもいい学校なんだなーと思いました。
強豪校であれば、1日でも練習を休めば監督から”やめろ”と言われたり、”居場所があると思うな”と言われてきたという他のスポーツ選手のインタビューでたくさんみてきました。
それなのに金蘭会の監督は居場所を作ってくれていたり、仲間もしっかり声を掛け合っていたとのことなので、良い学校なんだなと思いました。
そんな素敵な環境でバレーをされたから、ここまで素敵な素晴らしい選手に成長されたんですね。
宮部選手は中学3年生の時に「全国都道府県対抗中学バレーボール大会」では、最も将来有望な選手に与えられる、JOC・JVAカップを受賞されています。
心折れながらも続けられて、JOC・JVAカップを受賞されるなんてすごいですよね。
宮部藍梨の大学時代は?
宮部藍梨選手の大学時代はどうだったのでしょうか。
大学は調べていくと神戸親和女子大学に進学されていらっしゃいますが、2017年9月よりアメリカの2年制大学であるサウスアイダホ大学に留学をされます。
理由としては、将来のことを見据えて留学をされたそうです。
そんな若いときに将来のことを見据えるってすごいですよね。
きっと大学の周りの同級生はまだ、大学生になったばかりで毎日楽しく過ごされている時期だと思いますが、宮部選手はしっかり将来を見据えて。。。すごいです!!
アメリカの大学スポーツにはルールがあって、勉強で決められた評定をクリアしないと試合に出られない、文武両道を求められている。
勉強も疎かにならず、バレーもできる厳しいところに自分の身を置くためにはアメリカが一番いいのかなと思いました。
と答えていらっしゃり、考えが素晴らしすぎますよね。。。
18歳なのにびっくりです。。。
宮部選手はずっと日本に住まわれていたので、英語が特別できるというわけでもなかったそうです。
英語にも苦労をされたそうです。
自分が恵まれていると思っていた体格もアメリカのチームだと、2番目に低かったそうです。
それでも2年間のサウスアイダホ大学で優勝もし、MVP選手にも選ばれていらっしゃるのですごいですよね!
サウスアイダホ大学は2年制だったので、2019年の夏に卒業し、9月にミネスタ大学に編入されます。
ミネスタ大学で、指導をされていたのがヒュー・マッカーチョン監督。
数々のアメリカ代表にメダルを獲得させた、名監督と言われています。
その監督に指導いただきたかったのでしょうか。
そのまま宮部選手はミネスタ大学の大学院にも進学されます。
宮部藍梨大学卒業後は日本へ帰国
2022年5月にミネスタ大学院を卒業した宮部選手。
約4年9か月の留学を終了し、日本へ帰国されました。
日本へ帰国し、すぐ日本代表に選ばれ、代表合宿に参加されていらっしゃいます。
宮部選手は帰国後選んだ所属チームはV1の「ヴィクトリーナ姫路」に入団されました。
これからは、日本の大会で宮部選手の活躍が見れるんですね!
とても楽しみです!
まとめ
今回は宮部藍梨選手について、調べさせていただきました。
調べると、とても素晴らしい選手で、恵まれたものだけを伸ばすわけではなく、あえて自信を厳しい道へ追い込んでいく様や、努力を惜しまない姿がとても素晴らしい選手だと思いファンになりました!
今後も宮部選手の応援をしたいと思います。
日本での活躍はこれから!という選手なのでとても楽しみです!
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